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設立当初は大喜多寅之助校長が所属する中京法律学校の校舎(中区南新町)を仮校舎として開校しましたが、これと並行して赤萩の地(現東区葵三丁目・千種駅前)に校舎の建設に着手し、翌年4月に新校舎が落成しました。以後48年間にわたって、この地に東邦の歴史が築かれていきます。
開校5年後の昭和3年、第1回の卒業生63名を輩出。同年同窓会(後の東邦会)が設立されました。当時は卒業生の数は少なかったものの師弟のつながりは深く、同窓生相互も親密で、これが今日の東邦会の基盤となっています。
戦前は毎年総会の集いがもたれていました。昭和10年代には地元だけでなく、「大阪東邦倶楽部」と称する関西地区に在住する会員有志の集いも随時開かれていました。
本校は、創立当初から課外活動は活発に行われ、生徒全員が何らかのクラブに参加していました。なかでも「東邦健児団」とこれを母体とした「健児音楽隊」(吹奏楽部の前身)は当時としては先駆的なユニークな部活動でした。
昭和9年、硬式野球部が春のセンバツ大会に初出場し、全国制覇という快挙を達成しました。この優勝の波紋は大きく、名声は全国に広まりました。校内各クラブもこれに刺激され、学芸・体育の各部は栄光を目指して華々しい活動を展開していきます。
硬式野球部は戦前に3度の全国優勝、剣道部、水泳部、陸上部、弁論部、珠算部なども全国的にトップレベルのものであり、新聞部の発行する「東邦商業新聞」も当時の中等学校のレベルをはるかに超える内容のものでした。昭和10年代前半は、赤萩の地で東邦が文武両道に著しい躍進を遂げていった時期であります。
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